私の見えるもの


私には何かが見えている


人間には、見えてはいけない何か。


例えば
話をしている相手が「本当は」何を考えながら
今、自分の口からは何を発しているのか、とか


今、起こっている事の結末を先に感じ取ったりとか


その人自身の今の状態など


もちろん、幽霊や守護霊的なものが見える、というのもあるけど
上のものたちは私が人間不信になった原因でもあって


だから、たまに
その「機能」について話をすると
「いいなー」とか「すごーい」とか言われるけど


「それ」が見える世界を知らないから
うらやましくなれるんだと思う


知りたくなくても、人の悪い部分を見てしまい
見たくなくても、血みどろでぐちゃぐちゃの何かが見える


どれだけ、真面目な顔をしていても
どれだけ、真剣に話していても


「本当は」「心の中では」


怒りや、憎悪や、狡知や、高慢で
溢れ返っている
いろんな人に「良い人」「優しい人」と言われている
卑劣で、汚らしい「本当の人間像」を見る


それって、本当にすごい?


それでも、死ぬまでは生きていかなければならないと
自分の感覚、認識、身体全体の機能が私に教える


それって、本当に羨ましい?


それでもやっぱり
人にはやさしくいきなければならない


いくら、目の前のあの人が
憎しみと怒りをもちつつも
満面の笑みで、私に微笑みかけていたとしても


それでもやっぱり
人を憎んでは生きていけない


だからといって、人間は助けてくれない
聞いてくれたとしても、人間は
ものめずらしさだけで終わらせてしまうから


今は、もう辛くないけどね
なぜなら、覚悟を決めたから


だから
「この機能が羨ましい」なんて
絶対に言ってはだめ


こんなものがあったとしても
人間を台無しにしてしまうだけだから。

 人へのメッセージ的な


人への優しさを履き違えると
痛い目みます


本当の優しさがどういうものかを考えないと
後々、寂しさでいっぱいになります


人は、ずるくて、汚くて当たり前だけど
でも「皆もそうだし、それでいいや」とは
思ってはいけない


難しいけどね。


せっかく聞こえた素敵な言葉も
自分仕様にゆがめてしまうと
それはそれは、恥ずかしいものに生まれ変わる


そしてそれをひた隠しにして
自分の中で気持ちよがっていると
余計に黒ずんでしまう


それはもはや「素敵」とは言えない


言葉は発せられると
いかようにも人の頭で変化する
それは、もう、仕方の無い事


でもね
そこでどう生きるかは
誰でもなく、自分次第です


いかに、人間が
自分をごまかしごまかししながら
「ぬるく」生きているかという事を目の当たりにしても
あまり、気持ちよくはないけれど
でも、勉強になったりもする


というか、今は
「勉強になる」という一点でのみしか
折り合いをつける事ができない


こだわりだらけの人間像
そのままの身の丈


目の当たりにして  思う事







…なんか悲しい。



でも、自分が頑張らないと
そこから、抜け出せないからね
だれが、そこで
助ける事も、出来ないからね


いくら、良い道を示したとて
自分で掴み取る作業はしないといけない
その手助けを出来るほど
相手の事を理解できる人間は、居ない


自分の人生は
なんの為にあるのか
人間は
何故、生まれてきたのか


その意味を知りたいと思うなら
やっぱり、「自分」じゃ、解決できない


そこをもう少し、知る努力をしないと
難しいなあ、本当に


もう少し気分を落ち着けて
冷静になって、モノを見る癖をつけないとだめだなあ


難しすぎるけど!!!


はあ、頑張ろう。

 ただ、ひたすら


「理解」は難しい。
「努力」はまだ、できたとしても


自分自身の
見栄や、プライド、
劣等感、優越感、虚勢


全てが都合よく、邪魔をしてくれる
これ全部、自分のいらないもの。

文字で書くと、簡単に
「それはイケナイモノ」と分かっても
自分の中に隠れて根付くそれらは
なかなか取り去ることができない


それが簡単にできるから
聖人は聖人と呼ばれるのだろう


それを、なんとも思わないから
聖人は聖人で居ることができるのだろう


わたし?


土星人。


あーもう


「そうじゃないのに」から発生する
イライラ、モヤモヤ、罪悪感に、嫌悪感
これ全部、自分から発する悪臭と同じ嫌なもの


自然に生まれるそれらが
なくなる方法はただひとつ


毎日を満足し
自分には反省し
死ぬまで、努力を怠らない事


「自分はできている」などと
調子に乗って、思わない事


ひとつの課題をなんとかクリアすると
また見え始める課題


それ自体が辛いというよりは
それが辛いと思う自分の気持ちが嫌で仕方が無い


真面目に生きていくのって
結構大変ですよ


ただ、それ以上に
不真面目に生きていた時より
数段、幸せだけれど


そんな毎日が楽しいから
今、こうして生きていれるけど。


ただやっぱり
辛いもんは、辛い。


ぐあーーー
できるだけ早く
乗り越えたいな。

 馬鹿野郎はこの私


最近、人にまじめに話す機会があって


本当に、人に「言葉を伝える」って
難しおすなぁ〜


と、実感。


どうか、上手く伝わればいい
どうか、変な道にそれないように


ただ、そこはもう祈るしかなく
本当に、自分は無力だと感じる


伝わるための努力はできても
「伝える」事など、できない


でも、それが上手くいけば
本当にこの先
その人も、自分も
とても充実した、実になる人生が歩めると信じて
でも、その人のためだけになれるように


必死。


必ず死ぬと書いて
必死です


大切な人には、いつか話したいと
思っていた事が実現しただけでも
私にとっては、この上ない幸せ。


だから、諦めずに頑張ろう
明日も、明後日も、またその次も
ダメダメながらも、また進まないと
本当に、ダメダメダメぐらいになってしまったら


恥ずかしくて、生きてもいけない。


崖っぷちです。

自分の力


「自分」で「自分のこと」を考えようとすればするほど
どうも、「自分」から離れていく気がする
理想だったり、恐怖だったり、逃げたい事が多すぎて
結果、自分の都合のいいように自分を見繕って、終わる。


人にこう見られたいな、とか
人はこう言うんじゃないか、に
とらわれると、ろくな事がない


その上に、自分の虚勢や、高慢さが乗っかって
本当に、訳の分からない「自分像」が出来上がる


で、それが「今の自分」とかけ離れている事に気づかない


でも多分、それが普通。
人間ってそういうもの。


これは、絶望してる「そういうもの」じゃなく
「自分の力」なんて、そういうものでしかないってこと。


そしてまた、他人に気づかされる
「変わろうとしていた」自分が全然変わっていないってことを。


恥ずかしくて、仕方がなくなる
格好悪くって、悲しくなる


でも、それが今の原動力。


気づけることは、幸せな事
そうやって、少しずつ変わっていけるなら
なんの問題もない


大丈夫。頑張る限りは。
大丈夫。諦めなければ。


必ず見えます
幸せな未来が


よし、明日もまた
恥ずかしい一日を送ろう。

 1歩、1歩


マザーテレサの映画を観た
「愛」なんていうことばは
軽々しく使うもんじゃないけど
でも、愛を持って人に接したいと
心からおもった


「人のため」と言いながら
自分の為にしてたら意味がない
それは分かってたとしても
身を削って、人の為に何もできない自分を見ると
すごく、恥ずかしくなるし
また逆に、その場から逃げて、知らないフリをしようとする


人と向き合おうとする前にまず
自分の現実と向き合わないと
てんで、全てが上手くいかなくて


でも、都合よく
自分の悪いところからは逃げようとばかりする


ああー、恥ずかしい
ああー、見苦しい


本当に、自分からは
何も、良い事が考えれない


格好悪い。


もう少し、反省しないといけません。

  さっぱり


完全に、焦っている。


上に書いたことは何だ、と言わんばかりに
焦っているし、体がしんどい
完璧に現状は暗いなあ


でも、この変化著しい時期は
ひたすら耐え忍んで、動かないと
どうやら、幸せにはなれない
人を笑顔にすることは、できない


うだうだ言ってんと
頑張る時期。


今日は大事なお友達から
そういう事を教えていただきました


なんて有意義なお時間かしら。


調子乗ってんとがんばろう
おちおち甘えてられません


「いつでも頑張る」
これ、基本。


でも、焦っちゃダメ


難しいわ!!!


て感じ。



冒頭、いらいらしてごめんなさい
なんか、腑に落ちない顔をしてごめんなさい
昨日は怒ってごめんなさい
私の全てが


ごめんなさい。


ふいーーーー。
本でもよも。